バンコクの旧市街地(ラタナコーシン)はタイの歴史が色濃く残る素晴らしいエリア。
この辺りには王宮を含め、タイ王国の中でもかなり権威のある寺院が集結する場所で歴史の詰まった煌びやかなスポットなのです。
そんな中でもとりわけ印象的なのがワットスタット寺院の前にそびえ立つ、まるで鳥居のような巨大建造物。
それは しばしばバンコクのシンボル的な存在として扱われることもある「サオ・チンチャー」と呼ばれるモニュメントです。
今回はそのサオ・チンチャーの歴史について、こちらで紐解いていこうと思います。
Sao Chingcha(サオ・チンチャー)
サオ・チンチャーはバンコクの旧市街地、ワットスタット寺院すぐ目の前にある別名「ジャイアントスイング(巨大ブランコ)」として知られる歴史的建造物。
日本人の観光客にはあまり知られてはいませんが、パリと言えばエッフェル塔・シンガポールと言えばマリーナベイサンズ・バンコクと言えばジャイアントスウィングと言った具合で実はバンコクの象徴的な存在として扱われるほど有名なものなのです。
しかし 一見するとただの飾り物のモニュメントのようにも見えますが、以外にもその歴史は長く深いものがあります。
人気の写真撮影スポットでもあるので、バンコク観光を予定されている方は訪れてみるのもアリなのではないかと思います。
ジャイアントスウィングの歴史
遡ること1784年、初代ジャイアントスイングは今から235年も前の時代にこの地に建てられました。
建設に携わったのはラマ1世、バンコクの祖として知られる人物です。
高さ21メートルを超す超巨大なブランコはかつて、ヒンドゥー教の式典の際にとある儀式を催すために使用されていました。
その儀式というのが巨大なブランコにロープで吊るされた小舟に乗った数名の男性がブランコの前後に建つ柱の先にかけられた袋の中にある硬貨を掴み取るという仰天の内容。
イメージするとこんな感じでしょうか…?
硬貨が入るバッグが吊るされていた場所の高さはおおよそ15m、単純にビルの4階くらいの高さとなります。
もちろんその硬貨を取るために多くの人々が挑戦します、が時には転落して大けがをする人もいたとのこと。
中には打ちどころが悪く亡くなってしまった人もいたのだそうです。
この儀式は1935年までは恒例行事として続けらていましたが、そういった事故が毎度起こっていたことを受けラマ7世の命により2度と行われることは無くなりました。
因みに現在 私たちが目にしているこちらの巨大ブランコは、2007年に再建された最も新しいもの。
木製で老朽化しやすかったため 過去にはラマ2世の時代・1920年代・1959年と今までに4回ほど再建&移設された歴史を持っています。
そして昔の現物の一部はバンコク国立博物館に保管されているそうです。
儀式の本来の目的は、ヒンドゥー教の物語に起因しています。
ヒンドゥー教の世界にはブラフマーと呼ばれる世界と宇宙を創造する神が存在し、彼が新たな世界を作る時 シヴァ(破壊の神で巨大な蛇’ナーガ’を率いる)の動向で世の安定を判断していました。
つまりシヴァが山の上で静かに佇むのであれば世界は安定し、その逆であれば大きな災いが起きるとみなされていたのです。
巨大ブランコでの儀式はその体験を信者が模するという形で行われていました(ロープはナーガ[蛇]を表し 船の座席はシヴァ神の座する山を表す)。
儀式では船が安定しながら高い位置まで振れ動けば世界は平和に保たれると信じらました。
元々ただの面白半分でやっていたわけではなく 明確な宗教儀式として行われていた行事であったということが分かります。
ご覧のように実際に行われていた様子を写す古い写真も残されています。
今世に残る貴重な文化遺産だったという訳です。
巨大ブランコ(ジャイアントスイング)への行き方
以前までは少しアクセスしずらい場所にあったサオ・チンチャーですが、2019年に開通したMRT Sam Yot(サムヨット)駅を利用すれば簡単にアクセスすることが可能となりました
駅からは徒歩で約9分です
隣接するワットスタットも旧市街地(ラタナコーシン)では有名な寺院なのでセットで訪れてみると良いです
さいごに
今回ご紹介したバンコクのシンボル的存在「サオ・チンチャー」は、歴史を知りながら行くと非常に感慨深いものになるかと思います。
あらゆるものには物語があるのですね。
「写真を撮ってはいおしまい」ではちょっともったいないくらいの場所だと感じました。
みなさんもジャイアントスウィングに行く際は、この巨大なブランコを目前に昔この地で行われていた儀式を想像しながら思い巡らせてみて下さい。